ホスピタリティから紐解く関係性
「あの患者(利用者)さんは言ったことを守ってくれない」
皆さんはそんなご経験がありますでしょうか。
同じように感じたことは少なからず誰しもがあるはずです。
では、医療者と患者(利用者)※間で取り交わした“約束事”を守らなかった対象者に問題があるのでしょうか。
※以下、「患者(利用者)=対象者」と称す
いつもお世話になっております。
かたりば編集長を務めている訪問看護ステーションあしたばの北井です。
さて今回は、一方向から見る対象者像を冒頭に挙げるところから始めましたが、そもそも我々医療者が提供する知識・技術はいずれも「サービス」です。
提供する職種による違いはあれ、それらは医療サービスであり、介護サービスであるはずです。
サービス業を生業とする中で、冒頭に述べた着眼点が果たして的を得たものなのかを、
『ホスピタリティ』の観点から紐解いていこうと思います。
——『ホスピタリティ』——
○狭義の定義では、人が人に対して行なう接客・接遇(所謂「おもてなし」)のこと。
一方通行のものではなく、共に喜びを共有する「相互満足」があってこそ成立する。
○広義の定義では、社会全体に対して人々が、ホスピタリティの精神を発揮することで、相互に満足感を得たり、助け合ったり、共に何かを創りあげることができ、それによって社会が豊かになっていくこと。
例えば、「歩きたい」と希望する対象者に対して、こちらがスクワットの指導をしたとします。
結果、その場で10回行って以降、運動習慣がつくことも歩くこともありませんでした。
一方、言葉の通り積極的に歩行訓練を実施したとします。
結果、歩くことが嫌になったりリハビリの意欲が下がったりしてしまいました。
どちらも、「歩きたい」というニーズに対してアセスメントもサービス提供も不適切だった、と言えるでしょう。
セラピストと対象者のギャップ
●セラピストの観点から「必要だ」と思ったことも、対象者にとっては不要かもしれない
●対象者が「やりたい」と思ったことも、セラピストにとっては不要かもしれない
このようなギャップは往々にしてあり、コミュニケーションを通じて相互理解を深める努力を怠る以上は永遠に対象者のニーズが叶うことはありません。
病歴や身体機能はカルテを確認するか評価すれば分かりますが、対象者の中に眠る真意はカルテを眺めるだけでも身体機能やADLを評価するだけでも見えてきません。
では、「歩きたい」と希望する対象者の真意はどこにあるでしょうか?
対象者の真意
◎周囲の人間はそこまで無理をしなくても良いと思っているが、対象者は「歩かないと寝たきりになってしまう!」という漠然とした恐怖感から「歩きたい」と逼迫しているのかもしれない
◎対象者はそこまで「歩きたい」と思っていなくても、周囲から「歩かないと寝たきりになる!」と叱咤激励を受けていることで仕方なく「歩きたい」と口にしているだけかもしれない
◎歩くために必要な身体機能が不足していることへの認識(気付き)がないのかもしれない
◎医療者の説明に納得できていないのかもしれない
etc…
我々のサービスは、自分が対象者と向き合い、対象者の抱える悩み・辛さ・葛藤・苦しみを受け止め、小さくも逞しい光を見つけるところから始まるのかもしれません。
我々のサービスの質は、自分と対象者との間に信頼関係が築かれつつある感覚を双方に感じ取れた時に、改善するのかもしれません。
ホスピタリティを具現化するためには、自分の存在や性質を受け入れてくれた対象者への感謝を忘れずに、言葉と態度を通して伝えていくことが必要かもしれません。
ホスピタリティは、一方的な“押し付け”ではなく、自分と対象者が一緒に目標に向かって人生の形を創っていくことかもしれません。
そんなことを考えると、我々の目指すべきサービス提供の形はホスピタリティ精神の溢れる関わりであり、一人一人の心の中に散りばめられた想いや取り巻く環境を丁寧に紡いでいくことが根底にあるのではないでしょうか。
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とあるコンシェルジュの話。
ある場所までのルート案内をする際、タクシーではなく電車のほうが安く渋滞の心配もないので、あらゆるお客様に電車の利用をすすめていたことがあった。ほとんどのお客様は安く行ける電車の提案を喜んだが、あるお客様が「私に金のことを言うのか」と烈火のごとく怒った。この失敗を糧に、お客様の数だけ、その方にとってベストなサービスは異なるのだと思い知った。
「良いサービス」を勝手に創り上げるのではなく、目の前のお客様に目いっぱい関心を向けることが、本当のホスピタリティを生む。
お客様が「富士山に行きたい」と言う場合、それは「富士登山」を指すのか、「富士を風景として眺めること」を指すのかによって、提供する情報が大きく異なる。「富士山に行きたい」と言われた時、もしかしたら「眺めたい」なのかもしれないのに、きちんと確認をせず「富士山の登山口への行き方を案内」してしまっては失格なのだ。
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上辺だけの言葉に惑わされず、お客様の気持ちを読み取るには『対話』が欠かせません。
対話を通じてお客様とゴールを共有することからサービス提供の始まりです。
それにはお客様と自分だけでなく、仲間のスタッフやその他のネットワークも動員することでお客様の満足度が最大化するのでしょう。
多職種連携や情報共有の重要性が謳われている昨今だからこそ、“利用者利益の最大化”を指針とする私も含めて医療者一人一人の肝に銘じておきたい姿勢です。
「対象者が守ってくれないのではなく、我々医療者側が守っていない」
日々の臨床を想起した時に、対象者と相互理解・信頼関係・共創を築くことができているか自己省察してみてはいかがでしょうか。
振り返ってみると、当事者間の“約束事”を守っていないのは我々医療者側なのかもしれない…
そんな気付きが得られたところから、我々医療者のサービス提供は着実に変わるかもしれません。
私がその内の一人です。
だからと言って、相手にとにかく尽くすことを美化する日本の風潮により、サービスを提供する側が不幸になってしまってはホスピタリティとは言えないでしょう。
強く相手に何かを求める日本独特の文化を理解しつつも、セルフケアや自立支援の範疇から大きく逸脱するような関わりは依存関係を生みがちです。
本来、医療者と対象者との間にある“約束事”は対象者が自分自身を受け入れていくプロセスに寄り添い、対象者の自発的な行動(または思考)を促すこともその一つと言えるでしょう。
「ホスピタリティは我々医療者と対象者との関係性を絶妙に取り持つ基本姿勢」
五輪招致のプレゼンテーションで滝川クリステルさんが語ったそれとはニュアンスが異なるかもしれませんが、我々の提供しているサービスにもホスピタリティの精神を基盤とした相互満足・相互理解・共創のプロセスは重要であると考えられます。
私は一人のセラピストであり、一人の人間でもあるという至極当然の感性を持ちながら、常に対話の中から様々な可能性を模索していきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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